Before The Crimson Air





 彼らは魔術師である。
 己が身と智を駆使し、科学と同等の奇跡を個人の力で具現化する。それが魔術師であり、神秘の担い手。積み上げられた歴史と血統、それが彼らの基盤であり、彼らの力であり、彼らそのもの。
 その魔術師達の総本山、ロンドンは時計塔に士郎と凛、二人が留学して半年ほどが過ぎた。
 英国の冬は緯度の高さに反して暖かい。しばしば霧雨が街を覆い、じめじめとした冬を演出してくれるのがいささか不快と言えば不快だが、それがこの都市の代表的な顔の一つである。それならばそれにもまた面白みが感じられる。
 そして、その神秘の集散地、ロンドン大学の地下を歩く少年こそが衛宮士郎、魔術師にして魔術使い。単一目的唯一機能の魔術回路。
 その目は常に正面を見据え、それはまさに王道、そして正道。誰もが夢見、誰もが膝を折るしかない理想、それをどこまでも願い続けると自分自身に宣言した少年。
 彼の目は正面しか捉えない。
 とは言え、実際問題として両手に荷物を抱えすぎてるため正面しか見えていない、と指摘するのは無粋と言うものだろう。
 もちろん、その荷物に彼の所有物、将来彼の物になるわけでもなく、かつてそうであったものもない。つまりは荷物持ち、ポーターである。で、その荷物さんたちがどなたに所属しているかと言うと。
「士郎、大丈夫?」
「シロウ、半分はわたしが」
「ミスターエミヤ、無理をなさるのは賢い判断とは言えませんわね」
 このお嬢さん方である。ちなみに、押し付けたのは遠坂凛とルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの二人、だけではなく実はセイバーも控えめながら申し訳なさそうに荷物を差し出したりしている。
 しかしそれに対して文句を言う士郎でもない。自分が荷物を持つと宣言した以上限界に挑むのもやぶさかではない。ただ、これはいささかやりすぎじゃないかと抗議の声を上げようとして―――黙殺される以前に視殺された。怖い、なぜこういうときだけ気が合うのかあの二人は。二倍じゃなくてこれは二乗だ。セイバーだけが心のオアシスと思っていたら、二人の圧力に負けて彼女の荷物も彼の腕を土台とした山の偉大さに拍車をかけている。
「ああ、大丈夫」
 心配してくれてるのはセイバーだけである。あかいのとあおいのは楽しんだ声音でしかない。オーゴッド、我を―――言峰を思い出して欝になる。ジーザス、この世にまともな神父はいないのか。
 そんな大多数の隣人を敵に回しそうなことを考えつつ、士郎は笑顔で彼女達の後ろについて歩いていく。まあ、足元にさえ気付いていれば正面の有象無象の障害は彼女達が退けるし、退いていくので問題はない。先日の小火騒ぎの傷跡がきれいさっぱり消えているあたり、さすがは魔術師達の巣穴だ。
「ところでミスセイバー」
 あおいの―――ルヴィアゼリッタが突然思い出したように口を開く。
 類は友を呼び、嵐を巻き起こす。ついでに言うと『類』とは『あくま』である。説明するだけ地獄が広がり、目から魂の汗が濁流の如く頬に氾濫するので説明はご容赦いただきたい、と衛宮少年は沈痛な表情でクラスメイトに述懐した。それ以来追求するものはいない、危険なものには関わらない、彼らは非常に賢明だった。それができない者はこの世界では情け容赦なく切り捨てられていく。最も説明する必要すらなかったのだが……
「なんでしょうか、ルヴィアゼリッタ」
 それにセイバーは鷹揚に応える。王は度量が大きくないとやっていけない……のではなく、ただ単にそれがセイバーなのであるが。
「そろそろ貴女の宝具、見せていただきたいのですけれど」
 なんて突然にしては性質が悪すぎる爆弾発言を投下した。
「な、な、なんであんた知ってるのよ!?」
 狼狽する凛。それもそうだ、セイバーの正体は誰にも明かしていない。士郎の魔術と同じぐらいの秘密だ。
「馬鹿にしてますの? そもそもミストオサカ、貴女がどういう経緯でこの魔術師の最高学府に招かれたと思って?
 聖杯戦争、フユキの聖杯は確かな機能を持つ願望機だとうかがいました。その勝者である貴女が従える彼女、魔術師でもなく使用人でもない。となれば答えは一つ、貴女が今も現界させるミスセイバー、さぞや名のある英霊なのでしょう?」
「あー、うん、そのなんだ……すげえ、良く分かったな……」
 そう士郎がこぼす。そしてルヴィアゼリッタに殴られる。それでも荷物を落とさないあたりさすがと言えよう。
「誰も聞かないからわたくしが聞いて差し上げたのです。と言うか、気付いていない者はこの時計塔にいる価値すらありません。そもそもそのセイバーという名前からして変えないなんて……
 肝心なところで抜けているのは実に貴女らしいですわ、ミストオサカ」
 ぐ、と息を詰まらせる。士郎と凛。確かにそうである、冬木の聖杯戦争の勝者の従者でセイバーなんて名前名乗ってたらそれはもう『彼女はサーヴァントです』って喧伝しているようなものだ。
「一度ミスコクトウに打診してみましたが、あなた方と同郷で同期の彼女も知らないとのこと。ならば直接訊くより他にありません」
 実は黒桐鮮花にはばっちりばれている。だがそれを知らないとシラを切った彼女に凛は心の中で感謝する。彼女の師について秘密を守っているのでお互い様ではあるのだが。それにしても凛は怪訝に思う。この女がそれで煙に巻かれるような女か、と。
 ……実際煙で巻いたのかもしれないが。先日の小火騒ぎの真相に思いをはせる。あの炎術師もなかなかにいい性格をしている。
「あーそれは、って士郎! 何認めてるのよあんたっ!」
 ちなみに、この発言も認めているも同然で墓穴であることは確かである。
「ボクも見せて欲しいなあ」
 突如として低い位置から幼い声が響いてくる。
「……!?」
 凛、セイバー、ルヴィアゼリッタの三人はその場から飛び退き、その身を緊張に強張らせる。それほど異質だった。気付けば彼らを遠巻きに観察する魔術師達の姿すらない。この廊下にいるのは遠坂凛、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、セイバー、衛宮士郎、そして件の少年だけだ。
 なお、士郎は荷物のため動けないでいる。
「ちょっ、ばかっ! 荷物なんていいからそこから離れなさいばか士郎!」
 緊張に染まった叱責を受け、彼もまた行動に移す。丁寧に荷物を置いてその後一足でその場を離脱する。そこらあたりは性格である。
「ひどいな。ボクまだ何もしてないのに」
 それに誰も応えない。
 少年はまさに天使のような容姿で、それこそ神に愛されたような微笑を浮かべる。
「……何かされた後では遅すぎますわ……」
 その搾り出したような言葉に少年はこう応える。それに対するはてんしの微笑。
「しないしない。僕は聞き分けのいい子供なのです」
 くふふ、とその口の端から無邪気な笑声がこぼれ出る。
 そしてセイバーに向き直る。その目には間違いなく純粋な、子供が憧れる玩具を見つめる目だった。少年の指という指には指輪が嵌められていて、その一つ一つに大粒の宝石がはめ込まれている。
 凛とルヴィアゼリッタの目がその宝石に吸い込まれていったのは仕方のないことだろう。それほどの歴史、魔力が蓄積されていると分かる、それは神秘そのものなのだ。
「あの爺さんのお気に入りも面白そうだけど、どうせならこっちだよね。
 ねえ、見せてくれないかな? エクスカリバーを」
 そう、何の気負いもなく言ってしまった。
「エ、エクスカリバーって……」
 ルヴィアゼリッタの驚きを隠しきれない声。求めていた答えがここまであっさり落ちてきた以上に、目の前の少年がそれを知っていたことに驚きが隠せない。そもそも彼は何者か。
 その言葉にさらに警戒を強めたセイバーが眉間を険しくし、彼を睨めつける。
「何が目的ですか?」
「何がも何も、だから剣を見せて欲しいだけだよ。ねえ、だめ?」
 小首を傾げ、心底残念そうな声は心ある大人を罪の意識へといざなう。いざなうのだが、心ある大人でなければ寸とも気にならない。そこで心無いと言えば語弊があるが、魔術師である凛とルヴィアゼリッタは取り合わない。
 だが、そこは衛宮士郎。幼い少年がしょんぼり落ち込む様を見捨てたとあれば正義の味方失格とばかりにセイバーに向き直る。
「困ったな……どうする、セイバー?」
 なんて甘いことこの上ない発言をした。実に軽率そのものである。当然、抗議の声を上げないセイバーではない。
「シロウ、この少年はそもそも人間ではありません。それにわたしたちに気配を感じさせることもなく背後を取り、その上今はその存在感だけでわたしやリン、ルヴィアゼリッタは動けないのです。
 そのような殊勝な顔をしたからといって侮ってはなりません」
 その間に当の少年は士郎のそばに歩み寄る。手を伸ばせば届くぐらいの距離まで近づいたところで彼を見上げ、ほっこりと笑う。それは本当にてんしのほほえみと呼べるような、思わず抱きしめたくなるような笑顔だった。
「貴方がフェイカーだね。是非とも貴方の世界を覗いてみたい。うん、彼女が見せてくれないなら、それでもボクはいいよ」
 こともなげにこれまた誰も知らないはずの事実を告げる。
 凛はとなりの女魔術師に目を向ける。気付かれたか、この聡明で根性の曲がった女であれば今ので何か掴むかもしれない。それにああ言われたら士郎は差し出しかねない。自分の魔術とセイバーの宝具、どちらもタネは割れており、彼はただ好奇心でのみ追求しているように見える。
 だが、そのような危惧を打ち払うかのような声が彼女の耳朶を打つ。
「悪いけど、それはできない。エクスカリバーも見せることはできない」
 そう言って、目の前の少年に深々と頭を下げた。
「シロウ?」
 セイバーが疑念の声を上げる。条件を飲んでしまった士郎を止めようと、そう覚悟していたのに。それなのに彼は少年のあの子供の純粋な目の輝きを受けてなお、拒絶した。
 それはいい、それが最善の答えに思える。だがそれは彼女の知る衛宮士郎ではなかった。断ること自体は構わない、問題はそれに一遍の迷いもなかったこと。彼は迷わず、あの少年を切り捨てたのだ。
「そうなの、残念だなあ」
「ああ、どちらも譲れない。君が誰で、どうやってその事を知ったのかは分からない。君がどうして見てみたいのかもまあ、ある程度予想はしてるけど、やっぱりだめだ。
 セイバーの剣をそう簡単に出させるわけにはいかないし、俺の秘密をここでばらしてしまうのも……だめだ。これは俺だけのものじゃなくて、遠坂と……そしてあいつとの大切なものなんだ。これを使うのはどうしようもなくなったときだけ、本当に必要なとき以外に使うつもりはない。
 だから、うまく言えないけど、だめなんだ。ごめんな」
 セイバーはそれを聞いて顔が赤くなるのを感じた。自分は愚かだ。士郎はその信念があるからこそ戦っている。あの赤い弓兵と何があったのか、それは人から聞くだけで彼女は断片しか知らないし、追求もしなかった。それは本当に彼だけの問題なのだ。彼とアーチャーの、つまり彼だけの問題。
 己を恥じるセイバー。しかし士郎と少年の会話は彼女を脇に置き去り、進んでいく。
「そうか、それじゃしかたないなあ。僕はいい子だから目上の人の言うことはちゃんと聞く子なんです」
 再び、くふ、と見るものを幸せにするような微笑を浮かべる。
「ああ、ごめんな」
「いいよいいよ。それに見せて欲しいっていうのは、まあ、そうだね、駄目でもともとで言ってみただけだから。
 本当はね。貴方がどんな人なのか、それが知りたかったんだ」
「え?」
 そう洩らしたのは凛だった。ルヴィアゼリッタは状況を把握しようと沈黙を保ち、注意深く二人の会話に集中している。
 少年は人差し指を顎にあて、考え込むような仕草をした後。士郎にそれまでからは信じられないほどの老成した目を向ける。
「気に入ったよ。衛宮士郎、剣身の剣製師。ファーザー言峰の報告通りだ」
 その思いもよらぬ名前に最も気色張ったのはその言峰神父を兄弟子として学んだ凛だった。
「な、なんであんたがあいつのことを知ってるのよ!?」
「そりゃ知ってるさ。一応彼も教会の神父だからね」
 だからそれが一体どういうことなのかと、問い詰めようとした矢先。それまで沈黙を保ってきたルヴィアゼリッタが口を開く。
「貴方、貴方は、まさか……!?」
「はいそこまで、駄目じゃないか。人の秘密を他の人にばらしちゃうのはいけないことだよ」
 それは色々と引っかかる言葉であるまいか。
「君がそれを言うのか……?」
 士郎がそう指摘すると少年は口をつぐみ、
「……」
 目をそらす。
 それを追うようにその先に移動する。
 また目をそらす。
 移動。
 そらす。
 移動。
「ひっどー。いたいけな子供の失言をあげつらうなんて大人のやることじゃないよ」
「……」
「……」
「……」
「……」
 一人を除き、士郎、凛、セイバーは呆れ返って声もない。なおその除かれたルヴィアゼリッタはポカンと目を見開いて立ち尽くしている。この場に彼女達以外に人間がいないことがせめてもの彼女への慰めだろう。もし見られたと分かった日にはもう手も付けられまい。
 気まずい雰囲気を払拭すべく少年は軽く咳払いをする。
「それじゃあ一つ、お詫びにお兄さんがいいこと教えてあげよう」
 くるりと身を翻し、彼は士郎に再び歩み寄る。
 優麗に片足を引き手をゆらと振るい、優雅に身を折り礼をする。
 喉を反らし、天井を仰いで息を一つ二つ。
 両腕を伸ばし、手のひらを上に向け、まるで、そうまるで説法でもしようかという神父のように。
 そしてかん高い少年の声が朗々と告げる。
「火ぞ。炎ぞ。巡り巡りて其は哂う。汝如何に振り祓わんや。汝如何に彼の者達を鎮めんや。其は呪いぞ。其は咎ぞ。
 彼の者達は汝を断たん。彼の者達は汝を堕とさん」
 くるくると回りながら凛々と、鈴のような声で少年は唄い踊る。
 凛の手を取り膝をつき、その瞳で彼女の瞳を射抜く。そして彼女の手の甲に口づけする。
「……え?」
 そして再び拍子をとるように軽やかに舞う。
「剣か、刀か、槍か、矢か、鎌か、棍か、槌か、否全てが汝を打ち据えんと牙を砥ぐ。
 果て無き丘に何故上る。果て見ぬ海原に何故帆を張る。
 彼の者達は常に独りを嘲う。群れ、集い、独りをただ悪と為す。
 いさやいさや。曙光は遙か。
 彼の者達はよいよい定む。汝を定む。汝が元凶、罪の揺篭」
 軽やかな歩を踏みながら、悠然と。
 唄は続く。誰も口を挟みはしない。
 手を伸ばし、そのたおやかな両の手でルヴィアゼリッタの頬をなで上げ、その額に軽く接吻。
「十六夜の彼方に王が立たん。虹色を携え彼の王は望む。故に王、矛持ちて振り下ろす。
 火ぞ。炎ぞ。
 月は満つ。さは遠くにあらじ、杯に満つるは赤き血の液。一度、また一度滴りて杯に堕つ。
 故に立とうぞ、戦の篝火。
 人間じんかんすべからく夜に飲まれん。民草皆恐れ、抑止を待つ。己々が第七識を束ねし第八識。
 英々にして雄々。八識の代行者。真なりし代行者。戦火鎮まれば要とされざる者」
 士郎と凛、セイバーの脳裏にあの赤い弓兵の背中が現れ、消える。
 そのセイバーの背後へと踊り、その腰に抱きついて頬を寄せる。
「遠からずして月が落つ。地に落ち降りて凱歌を揚げん。
 遠からじ、遠からじ。
 故に我、偽りの、仮初の代行者は問おう。
 いさや、汝その道を往くか。いさや、汝その舞台に昇るや」
 そして、少年はぴたりと止まる。
 その差し伸べられた手の先には口元を引き締め、鋭い眼光で彼を射抜く衛宮士郎。
「いさや」
 舞の始まりと同様優雅に一礼をし、微笑む。
 誰も声を上げられずに凍ったような世界。
 ようようのことで搾り出された、掠れた声。
「……あんた、誰だ?」
「ボクは道化師、ただ舞い踊る。舞台の脇でいつもおどける愚か者。
 でもせっかくの舞台も優秀な役者がいなければ、それはつまらないことこの上ない。道化は役者がいてこそ道化師。そこに誰もいなければ、道化は道化でいられない。
 だから道化は世界を回る。舞台にふさわしき者たちを求めて西へ東へ。己が仮面を捨てずにいるために。
 うん、いいね。君はいいよ。だから待ってるよ、衛宮士郎」
 握手を求められ、それに応じる。その間も少年の目を覗き込み続ける。
 握手が終わると少年は、くふふ、と笑いその場を跳び去る。その速度、その距離、サーヴァントと比べても遜色ない。それを笑顔のみでやってのけた彼の動きを見てセイバーと凛の顔が強張る。
「あいつは、何なんだよ、あれは人間の目じゃないだろ……?」
 そう漏らす士郎を見て、突然何かが癪に障ったのかルヴィアゼリッタは平静を取り戻す。
「貴方方はあの方がどなたか、本当にお気づきになりませんの?」
「……分かるのか?」
 ようやく平常心を取り戻した彼女は鼻を鳴らし、腕を組み髪を振る。彼女は決してそこらの権威者に恐れをなすような女性ではない。だからこそ今までの彼女の態度は士郎、凛、セイバーにとって異質極まるものだった。あのルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが身動きもできずに額に口付けされたなどと広まろうなら、そのことを知っている者は片っ端から射殺されそうで、彼女の周りからはいつもに増して人の姿が希薄になるだろう。
「仕方がありませんわね。ミストオサカが露とも心当たりをお持ちでないようですのでわたくしが教えて差し上げないこともありませんわ」
 そう凛に流し目を送り、嫣然と微笑む。
「何が『教えて差し上げないこともありませんわ』よ。誰が一番怯えていたのか、教えて差し上げないこともありませんわ」
 ルヴィアゼリッタはそれを聞きひき、と眉間を険しくする。
「全く、お三方が勇敢なのか、それともただの無知でいらっしゃるのか。まあ、そうですわね。ミスターエミヤは後者、ミスセイバーは前者なのでしょうけれど。ミストオサカはどちらなのでしょうね?」
「あら、廊下の片隅でガタガタお震えになられてたミスエーデルフェルトがおっしゃると、本当に説得力がありますわ」
「……」
「……」
 睨み合う、それこそ相手が石化、いや死んでしまえと、彼のバロールの眼が己にあればと角を付き合わせる。
「ほらそこー、喧嘩しなーい」
 それで二人はその場を再び跳び退くことになった。
 見てみれば先ほどの少年がにこにこと笑ってそこにいた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「やだなあ、もう。誰もこれでお別れなんて言ってないじゃないか。
 ちゃんと人の話は聞こうよ」
 そもそも何も言ってない。
「だって、どこか行っちゃったじゃないか……」
 呟くのは士郎。
「ん? あれはただ忘れ物を取りに戻っただけだよ。急いで帰ってきたんだから……遅かった? あ、そうか。君達遅いって怒ってたんだね。
 それで、どっちが怒ってどっちがかばってくれたのかなあ?」
「……」
「……」
 じとりとした視線が居心地が悪くなったのか、少年はセイバーへと向き直る。
「それで、これがその忘れ物」
 そして手に持っていた細長い布包みをセイバーに手渡す。
「あの、これは、この重さは……?」
 彼女ほどの達人ともなれば持った剣の重心でおおよその剣の形状は推察できる。そして布包みの重さから彼女の脳裏に浮かんだ形は……
「鞘は持ってるんだよね? うん、やっぱりそれは貴女にこそふさわしい。貴女が持っているからこそ輝く。
 それボクのコレクションの中でも取って置きなんだ。でもボクは持ち手でしかない。担い手たる貴女が目の前にいる。ボクはその美しさを見れればそれでいい。だから、それを最も輝かせることができる貴女に振るわれるそれを見てみたい」
 セイバーが包みを解く。そこから現れたのは眩い刀身を今なお失わない伝説に残る聖剣。騎士王の持つ勝利を約束された剣。星が鍛えたとされる闇を切り裂く王の剣。
「―――エクス……カリバー」
 惚けたような声。かつてはグラムとも呼ばれた剣。英雄王ギルガメッシュはその原典となるその剣を持ってはいたが、それとてその剣そのものではなくギルガメッシュの宝具であり現物ではない。
 ならばそれはどこにあるのか。現世に未だ残る物もあれば、既に失われ文献や伝説の中に名を残すのみの物もある。現に聖剣の鞘、アヴァロンの名を持つ礼装はコーンウォールから発掘された経緯がある。ならばエクスカリバーと呼ばれた剣が残っていても不思議ではない。今両の手の上の重みは決して幻などではない……!
「貴方に、感謝を……あの?」
 肩を震わせたセイバーの声を告ぎ少年はまたも微笑む。引き伸ばし告げずに楽しんできた名を告げる。
「メレム。メレム・ソロモン。それがボクの今の名前」
 ごくりと誰かが喉を鳴らす音が聞こえる。メレム・ソロモン、死徒二十七祖が二十位、埋葬機関が第五司教。四大の魔獣、王冠。その呼び名こそ様々あれど、その全てが世界最凶の魔物と告げる。
「あの、皆、どうかしたのか?」
 しかし、それが分かってないのが一人いるわけで。
「こ、この……抜け作士郎、あんたソロモン王も知らないの!?」
 ソロモン、およそ紀元前千年に存在したといわれる古代イスラエルの王にしてダビデの第二子。
「ボクは本人じゃないけどね」
「え、そうなの?」
 なんとも気の抜けた話である。そう思い士郎は破顔する。そしてその笑顔はすぐさま叩き倒される。今度はルヴィアゼリッタだ。
「うん、ソロモンは称号。我が主より受け継ぎし誉れある英名」
「今のは初耳でしたけれど、どちらにせよ彼が吸血鬼の王の一人であることには変わりありませんのよ!」
「まったくシロウは……」
「ま、今に始まったことじゃないけどね」
 少年、メレムは満面の笑みを浮かべてこう言う。
「実は君に、アーサー王にうっかり会いそびれてね。実に千五百年も待つことになるとはね。まさかあそこで死んじゃうとはねー。エクスカリバーだけ手に入っても貴女がいなくては残念無念。いやはや、こうして君に返すことができて嬉しくて堪らないんだよ。んふふー」
「それは、その……ありがとうございます」
 セイバーはいささか面食らいながらも礼を言う。
 それを見てメレムもまた微笑む。本当によく笑顔を見せる少年だ。
「でね、ボク君達のコト気に入っちゃったみたい。だからこれもプレゼント。赤い君にはこれ。青い君にはこれ」
 言って、指輪を外す。凛には紅蓮のルビー、ルヴィアゼリッタには深蒼のサファイア。それはコランダムの双子。
「―――あ」
「―――あの」
「それ、とりあえずボクが百年分ぐらい溜め込んでるから大切に使ってね」
 二人は息を呑んで自分の手の中の輝石に吸い込まれながら、茫然自失の体で頷く。
「それから―――」
 にこにこと楽しそうに、再びセイバーの元へ。
 まずは右の耳に手をやり、指先を揺らす。次は左。戻された小さな手のひらの上には大粒のアクアマリンの耳飾が二つ。
「ソロモンって言うからにはこの石は持っとくもんだけどね。これ、爺さんに手伝ってもらった三千人のボクの結晶。三千世界、なんちゃって」
 カトリックの神父としては間違いだらけである。
「ちょっと詰め込みすぎちゃったから漏れてるけど、その余剰分を毎日使う分にでも充ててよ。
『アクアマリンを飲めば悪魔を呼べる』、本来霊体の君を現界させるには一番だろうね。あ、寝ぼけて食べちゃわないでね。いくら君でも破裂するから」
 その光景を想像して迂闊にも笑ってしまった士郎はすかさずエクスカリバーで殴られた。
 最近、容赦がなくなってきているのは気のせいだろう。そう士郎は自分に言い聞かせている。
「それじゃあ今度こそお別れだ。次に会うときを楽しみにしているよ、衛宮士郎」
 ばいばい、と手を振ってそのままあっさりと身を翻し、今度はゆっくり歩いて去っていく。その手にはいつの間にか新しくまた別の指輪が嵌められていた。








 士郎たちと別れ、メレムは廊下を歩いていた。そこに声がかかる。
「メレム、用事は済んだのですか?」
 その言葉と共に現れたのは少女。淡い紫の髪の、その紅い瞳に最高位の理性と知性を湛える錬金術師。時計塔と並ぶ魔術師達の三大学府の一つ、巨人の穴倉の時期院長、シオン・エルトナム・アトラシア。アトラシアがロンドンにいる。それは異常な事態でもあるが、そもそも彼女自体が異常であると言ってしまえばそれまでである。
「うん、滞りなく。それで君の方は? 院長にあってきたんだろ? いやー、大変だったねえ。今の院長、ちょっとアレだから」
「ええ、こちらもつつがなく。もうここには用はありません。私達は私達が成すべきことのために行動を止めるわけにはいきません。
 ……時間が足りないのですから」
「そうだねー。ボクはともかく君は忙しいからねー。
 ま、パトロンがあのアルトルージュ・ブリュンスタッドなんだし、好きにやりなよ。十三位さん」
「私はズェピアの後継を気取るつもりなどありませんが」
「はは、そう言わない。彼の後釜なんて君以外いないし、君以外がそうなろうとするなら、それは君を殺すってことだしね。
 だからそれはない。ボクは君のコト気に入ってるし、何より二人のお姫様のお気に入りだ。その上強い友達も多いときた。ほら、恐い物なんてどこにもない」
 『今はね』と、ひとしきり笑った後、急に温度を失った声で、疲れきった老人のような声でこう続ける。
「それに君も目指すことになる。今のどんな技術でもだめなんだ。だからそれがどんな物でも開かれればそれは第六法なんだ。
 そして、それがボク達の切り札になるかもしれない」
 だから―――
「君は素直だ、真っ直ぐだ。そして折れることも知っている。知っていながらも真っ直ぐなんだ。まだ君は磨耗していない。だからだろうね、ボクも、彼女達も、君が好きなんだよ。
 そういった意味では君は彼らと同じだね。姫君の守り手とたった一人の眷属。だから君達は惹かれあったんだよ」
 そしてあの赤毛の少年も。
「もうゼルレッチでは歯が立たない。彼自身も老いたし、何より手の内は見せてしまった。必要な物は新しい物だ。新しい道だ。新しい理だ。古きボク達では不可能な何か、彼を出し抜く何かが必要なんだ」
 しばらく床を見つめながら歩いて、顔を上げる。そのときにはもう先程の憂いは微塵も残さず、その表面には天使の笑顔が張り付いていた。
「じゃあ行こうか。うん、久しぶりに彼女の機嫌を取りにでも行くかな。あーでもあいつがやたら狙ってきて困るんだよなあ。……まあいいか」
「……」
「どうしたの、元気出そうよ。……ははあ、彼のこと思い出しちゃったんだね。君も初心って、うわなにを……」
 シオンが突然懐から取り出した鎖をメレムの足に巻きつけ、反対側を床に打ち込んだ。そして彼女はそ知らぬ顔でずんずんと早足で廊下を闊歩していく。
「あーちょっとこれはないんじゃないの? ってうわこれって天の鎖のレプリカじゃん。ボクこれ苦手。ああちょっと待って待って。乙女ゴコロ弄んだからって何さ。ねーシーオーンー? 聞いてるー? シオーン?」
 聞いてなどやるものか。そこで滅びてどこかの誰かみたいに地縛霊よろしく好きなだけ災厄を振りまいているがいい。
「ねー謝るからさー。これ外してよー」
 道化が謝ったところで誠意のかけらもあるものか。誤りの塊が。
「虐待反対ー」
 角を曲がりきり、声も聞こえなくなる。
 一人になってため息をつく。彼に言われたことは確かに全て真実なのだ。自分が目指しているの、それは魔法なのだと。それもかつて存在し、今では失われた第一、第三ではなく第六、つまり全くの未開。一度あの老魔法使い、魔道翁に尋ねたことがある。自分は一体何をしているのだろうか、と。返答は明快なことだった。知らぬ、と。そのようなものは自分以外の何者も知る道理などあろうはずもない。
 そして最後にこう言った。『生きている、それだけでも意味はある。なに、一度見失ったからといってどうにかなるほど人生というものは脆くない』と。
 見事にはぐらかされたが、それでいいだろう。自分が答えを求めるのに性急すぎたのだ。今までエーテライトで知識をそれはもうたくさん取り入れてきたが、彼女の疑問の答えは彼女自身にしかなく、彼女の目的への答えも未だこの世に存在しない。
 ならばそれもいいだろう。今までが明るすぎたのだ。これから自分が歩むのは暗中の悪路。手探りだろうと進んでいくしかあるまい。
 場所が開け、人の気配が戻ってくる。そこは吹き抜けになっていて、階下の様子も伺える。
「そうね、私はアトラシア。不可能にこそ、私が挑む価値があるのだもの。
 そう教えてくれたのは志貴、さつき、貴方達でしたね」
 下の広場を見てみれば大きな荷物を抱えた赤毛の少年が意外なほどしっかりと先を行く三人の少女の後について歩いている。障害物が迫り危ない、と思ったら軽やかに身をかわし驚くほど上手く歩いていく。その姿にあの蒼い眼の少年を重ね頬を緩める。
 あ、とうとう躓いた。なんとか倒れずには済んだものの、持っていた荷物は空を舞い次々と音を立て床に降り立つ。先を行く少女のうち二人、黒髪で赤い服、金髪で青い服の二人の魔術師は肩を震わせ―――
 刹那、光がその空間を制圧した。
 その閃光が去ったときには俯瞰する彼女の姿はそこになく、残されたのは微かな苦笑。
 誰かがそこで何かを見ている。全てがそんなことの積み上げで、それがなんとも巧妙なのだ。
 移ろいゆく季節。繰り返し繰り返し、春が来て夏が来る。暑さが過ぎれば秋が来て、雪が全てを覆い隠す冬が来る。その後はまた芽吹きの春が来て、そして命華やぐ夏がまた。
 それが幸せ。だからこそそれを謳歌しよう。春も夏も秋も冬も。いつかそれら全てが愛しくなる時が来るのだから―――








「いやー、若いっていいねー」
 殴った。この駄吸血鬼め。