闇月夜 7/境界の外 |
今この部屋にいる人物は四人。目の前のソファに座っているフィナさん、少し離れた別のイスに腰掛けているのがリィゾさん、そしてわたしとわたしの後ろに立っているセンティフォリアさん。 アルトルージュさんがフィナさん達にわたしに対する説明を任せてそうそうにこの部屋を出て行ってしまって間をおかず、彼は早速本題を切り出してきた。 わたしが軽く首肯し、話を促す。わたしはまだ何も知らないからこちらはまずはただ聞くだけしかない。 「そうだね……君は、今自分がどういう存在なのか……分かっているかい?」 「はい、吸血鬼、ですよね? 日にあたると体がすごくいたくて、血を飲まないと生きていけなくて、これって話にだけ聞いた吸血鬼の特徴そのものです」 「そう、君は吸血鬼さ。それに僕らもね。この城にいる者は皆、“死徒”と呼ばれる吸血種なんだ。ああそうそう、一応説明しておくとね、僕らは“吸血鬼の中でも死徒と呼ばれる吸血種”……よく分からないって顔をしているね。そうだろうと思うよ。いいかい、この世界には同じ生命の血液を糧として生きる生物がいる。それも結構たくさんね。それをひとくくりに吸血種と呼称する。例えば、そうだね、吸血ヒルとかさ、知らない? で、その一種が僕たち死徒。もともと人間だったわけだけど、故あって人間を止めてしまった人間達。だから人間の延長線上の存在でもあるんだけど、そのことについてはまた今度。――で、まあ“死徒と呼ばれる吸血鬼”と言ったわけだけど、つまり死徒ではない吸血鬼もいるにはいる。そんなわけで、僕らは“吸血種の中でも死徒と呼ばれる吸血鬼”となるわけだけど……。分からない? それじゃあ、おいおい分かることだろうし、自分が死徒と呼ばれる吸血鬼だということだけは覚えておいてくれ」 わたしが分かりやすいように噛み砕いてくれているのだろうけれど、やっぱり少し混乱する。単語が頭の中でごっちゃになってしまった。だから、とりあえず聞いたことをそのまま頭の中にしまい込んで、最後の部分だけを理解する。とにかく、わたしが吸血鬼、死徒だということ。目の前のフィナさん、リィゾさん、センティフォリアさん、そしてアルトルージュさんもそうであると。 半ば確信に近い予想の上でのことなのでそうショックもない。わたしは、すでに人の血をすすったことすらあるのだから。 目が覚めたとき、とても強い渇きを覚えた。わたしはあのとき、求めるがままに人を引き裂き、喰らった。初めて口にした血はどれほどおいしかったことか、この世界にここまでおいしいものがあるなんて夢想すらしなかった。そして、あれほどの苦痛もまた、知らなかった。 わたしがそのことを思い出し、眉をゆがめていると、 「それで、だ。君は、吸血鬼というものに関してどれくらい知っているのかな? 基本的に君にとって吸血鬼自体が眉唾物だろうから、挙げられるだけ挙げてくれないかな?」 日光に弱いとか、血を吸うとかは身をもって知ったけれど、それ以外となるとあまり心当たりはない。強いて挙げれば……。 「ニンニクや十字架に弱いとか、心臓に杭を打ち込むと死ぬ、昼は棺おけの中で寝る、霧になったり狼や蝙蝠に化けたりするぐらいしか……あとは、吸血鬼は吸血鬼を増やすって聞いたことがあるだけで……」 「概ね正解。まあ、それが一般的なものかな。ニンニクに関しては誤解だけどね、誰だって臭いのは嫌いだろう? 別に中毒を起こすわけでもない――嗜好の問題だね。実際、ニンニクは健康にいいんだよ? ――話がそれたね。十字架、杭打ちは似たようなものでね、それ単体では意味が無い。それが意味を成すのはそれが概念を伴っているからさ。例えば教会で対吸血鬼用に生み出された杭なら効果はある。十字架は微妙でね。言ってしまえば使う側と使われる側の心のあり方かな。死徒の中にも人間だったときに神論者だった者もいる。彼らになら牽制程度にはなる。仮にその死徒が神論者でなくとも使う側が敬虔な信徒だったらそれも効果はある。両方該当するなら結構効くんだ。もっとも、追い払う程度のものだろうけれどね。君は無神論者だろうから関係の無い話だよ。棺の中で寝るっていうのも、趣味の問題かな。少なくとも僕はベッドの上で寝る方がいいね。君だってそうだろう? せっかくまともな寝床があるのに好き好んで棺を使おうとは思わないな」 フィナさんはそこまで話すと一度息を継ぐ。 センティフォリアさんがわたしの後ろからキャビネットに向かい、そこからビンとグラスといくつか取り出す。そのビンの中身をグラスに注いで――赤い液体だ――フィナさんに差し出す。その後リィゾさんに振り返るもののいらないとの意思表示を受け、わたしの方を向く。 ツン、とした匂い。わたしはこの匂いを知っていたけれど、喉が渇いているわけでもないので遠慮することにした。 「ご苦労。おや、君は飲まないのかい? それとも、アルコールは不慣れなのかな?」 「その、喉が渇いているわけじゃないし、わたしはまだ……」 そこで言いよどむ、そもそも吸血鬼に未成年だとかいうことは問題なのだろうか? まったくどうでもいいような気がしないでもない。 「お酒は脳細胞を壊します」 「ご心配なく、再生するよ」 「でも、やっぱり、いいです」 「じゃあ、続きと行こうか。――そうそう、再生と言えば、さっきの狼とか蝙蝠になるっていうの。あれはね、分かっていると思うけど、僕たちは食事としてではなく在り続けるために吸血行為を必要とする。でもね、人間の血だけじゃ限界が来るんだ。そこで長い時を生きてきた死徒は人間以外にも様々な動物を吸収する。それを使い魔として使役したりすることがあるんだ。まあ、中には度が過ぎてるのもいるんだけどね。霧になるのもタネを明かしてしまえば単純なものでね、あれは意識を乗せただけの擬体さ。用が済めば崩れて灰になってお終い。知らないで見たらあたかも霧になってどこかへ行ったように見えるだろうね」 長い上に、だんだん分からなくなってきた。とりあえず、まるで手品みたいなことは文字通り手品のようなもので、タネも仕掛けもあったらしい。 まあ、言葉でだけなら一応ある程度分かったんじゃないか、と思う。 「おっと、一つ忘れていた。水に関してだけど、流水は僕達にとって危険だって話は聞いたかい? ああ、軽く体を洗ってきていたと言ってたね。結論から言うと、君なら多少は大丈夫だ。とはいえ、そうだね、シャワーを少し浴びるぐらいならちょっと痛いぐらいですむ。君ぐらいの構成力があればその程度ならどうにかなるよ。で、死徒がどういったものか、まだよくは分からないだろうから、とりあえず頭の中に入れといてくれ。記憶力も向上してるはずだから問題は無いはずだよ。何かあるたびにさっき話したことを思い出して確認していってくれ。――お次は社会。もちろん、僕達死徒にだって社会は存在する。死徒というグループ内での関係から、死徒全体のグループとしての他のグループの関わり合いとかね。これについてはよく聞いてもらいたい。これから話すことは君にとってもとても大切なことだし、目を背けることもできない。君も今からその一員になるわけだからね、それもかなり危ういポジションにいるんだよ、君は。まず大事なのはさっき君が言ったことさ、“吸血鬼は吸血鬼を増やす”、基本的にこうやって死徒は増えていく。一部の例外を除いて全ての死徒にはその親となる吸 血鬼がいるのさ。そこで当然、“なら、最初の吸血鬼は?”って疑問が生じるね。――それについてはかいつまんで話すよ、長くなるからね。ただ、僕達死徒はレプリカなんだ。亜種と言っていい、オリジナルは他にいて、彼らが最初の死徒を生み出した。そのオリジナルである彼らを真祖と呼ぶ、彼らは生まれつきの吸血鬼さ。同じ吸血鬼に分類されているけどね、全く別の生き物。“吸血種の中でも真祖と呼ばれる吸血鬼”さ」 フィナさんの口調が変わる。わたしの立場、それが問題らしい。なにが、どう問題なんだろう。そもそも―― 「あの、わたし、何かいけないこと、してしまったんですか? 危ない立ち位置ってどういうことですか?」 「ああ、そうだね、それが問題なんだ。まず、君の存在はまだ一部にしか知られていない。実際、“ユミヅカサツキ”という名の死徒自体は知られていても問題はない。ほとんどの者にとって今の君には大きな価値はないからね。じゃあ僕達にとっては? ある。正確には僕達ではなく、姫様にね。……実は例の町――三咲町といったっけ、今あそこは不可侵領域とでも呼ばれる場所でね、その近辺にまで行くのも実は大変なことなんだ。そこにわざわざリィゾを使ってきみを回収させたんだよ、彼女は。もっとも、リィゾが動いたらそれはそれで邪魔はできないとも言うけどね。それにしてもあれは対外的には問題の残る行動だった。だが、それを差し引いても彼女は君を手元においておきたかったんだよ。その理由については僕からは言えない、少なくとも、直接的には。――それでね、君の親に当たる死徒、彼のことは知ってるかい?」 知るわけがない、わたしは目が覚めたら路地裏に倒れていたんだから。 その後、すぐに耐えられない程の痛みの波にのまれて、わたしは……。 「いえ、わたし、目が覚めたらこうなってて、わけがわからなくなって、ただ血を吸わないといけないってことがわかっただけで……」 「彼の名はロア、ミハイル=ロア=バルダムヨォン、転生無限者とも呼ばれる特殊な在り方を選んだ死徒。君は彼の被害者ということだね。もっとも、彼はすでに滅ぼされた。君もよく知る、トオノシキって少年に」 体が震える、まさかここで彼の名前が出てくるとは思わなかった。遠野くんが、滅ぼした? 殺した? 吸血鬼を? わたしをこんな体にした存在を? 目を見開くわたしを見て、フィナさんは手の中のグラスをくるりくるりと回しながら続ける。 「彼はすごいよ、ロアはね、殺すことは可能でも滅ぼすことは不可能とされていた死徒で、教会も抹消はほとんど諦めて封印をすることを目標とした死徒さ。ただ、彼についても割愛させてもらうよ。多分、彼はこれからの君についてもずっとある程度の影を落とし続ける存在ってことは忘れないでくれ。ついでに言うとね、そのトオノシキはロアのみならず、十位、ネロ・カオスまで滅ぼしてしまってね。さすがに祖が滅びたとなればそれは尋常な事態じゃない。挙句の果てに――これはまだよく知られていないごく最近の情報なんだけどね、十三位のワラキアってのも滅ぼされてしまってね、例の町は厳戒地域なのさ。――そこに巻き込まれて生まれたのが、君。言ってしまえば重要参考人。しかも君は、ロアが滅んでしまった以上ただひとりの彼女の眷属ということになる。これが君の危うい立場の正体」 一気にわからなくなる。今までもよくわからなかったけれど、もうほとんどわからない。まず、十位とか十三位、“彼女”が誰なのかすら全くわからない。 「十位ってどういうことですか? それに、彼女って誰のことかわたし、知りません……わかりません……」 「うん、十位っていうのはね、さっき言った僕達死徒の社会での話。まず、死徒二十七祖と呼ばれるものがある。彼らは最も古い死徒達の集まりで、言ってしまえば死徒の中での大物達、そして今世界に存在する死徒たちは一部のわずかな例外を除いてその系脈に連なっている。彼らの中には最古参とされる者もいるし、中には代変わりしている祖もいる。今では派閥めいたものかな。もっとも、今では滅ぼされたりして空席になっていて、後継者もいないために存在しない位もある。でも派閥自体は存在するんだ。これまた例外もあるけどね。後で彼らの一覧も教えるよ、少なくともこちら側で生きるには必須の知識だよ。――ちなみに僕は八位、リィゾが六位、姫様は九位であのプライミッツ・マーダーが一位なんだけどね。それで、さっき言った“彼女”だけど、彼女はロアの祖でね。死徒ではなく真祖、それも歴史上屈指のだ。彼女も今あの町にいる、トオノシキと共にね。いろいろあったらしいよ? それはともかく、彼女のこと、恨まないでくれ。彼女だってロアに騙されたのさ、いつか会う機会もあるはずだ」 わたしの大元の吸血鬼、わたしがここにこうしている原因を生み出した張本人。その人物が、今遠野くんと……。 いけない、考えが悪い方向に向かっていく。悪く思うなっていうのは無理なことだけど、その彼女もまた被害者だって言ってた。まだ、その人がどんな人かわからないけど、会って話をするまでは、うん、待ってみよう。もう、何をわめいたところで何も変わらないから。 「――君は、ついこの間まで境界線の上でふらふらと揺れていた。こちら側かあちら側か? 生か死か? そして君は生を選び、こちら側にやってきた。こちら側は生、あちら側は死だった。これから君の見る世界は今までのものとは全く違うものだろう。だけどね、それは当然。君は今まで君の属していた世界から外れてしまった。悲観することじゃない、外れてしまったのなら、そこからまた新しい世界が開かれるのは当たり前さ。――そして、だからこそ成せることもある」 「わたしは、これからどうなるんですか?」 「とりあえずは姫様に従ってもらう、死徒には大きく二つの勢力がある。姫様を頂点とする僕達、そして十七位の祖を中心とする者達。表向きはそう反目しているわけじゃないんだけれどね、水面下では火花が散っているよ。とにかく、今君にできること、しなくてはならないことは学ぶこと、知ることだ。今話したことだって氷山の一角にすら及ばない。これからも少しずつ説明する。別に僕だけじゃないさ、そこのリィゾや姫様、プライミッツ・マーダーだって答えてくれるし、君の後ろの彼女だって大抵のことは答えられる。いつでも誰にでも尋ねてくれ。――ああ、でもこの城で日本語を操れる者は限られているから誰もが答えられるわけじゃないよ」 「そんなに複雑なんですか?」 「そりゃね、なにせ僕達の歴史は長い、それこそまだ話したいことはいくらでもある。でもそれじゃキリがない。いろいろと君に話すことはできるだけ最小限にとどめる。それ以外のことはおいおい話すことにするよ」 そう言って肩をすくめる。はっきりいってわたしは混乱している、あまりにも大きな情報に頭が過負荷に悲鳴を上げている。一応言われた通りに話の内容だけでも録音したみたいに記憶できているから後でゆっくり反芻することにしよう。 それからもフィナさんの話は続いた。 死徒二十七祖という存在の成り立ち、現在の姿、祖たちの名前。教会という組織、その目的とわたしたちとの関係。協会という団体、その性質とわたしたちとの係わり合い。世界には多くの裏の、こちら側の組織があるけれど、教会と協会の二つが特に大きな実行力、権威、支配力を持っているということ。 そして、死徒という集まりは潜在的にそれに匹敵する力を持っている一大組織でもあるということ。魔術のこと、魔法という例外のこと。超能力と呼ばれるもの。 わたしを吸血鬼にしたロアという名の吸血鬼のこと、そしてその祖である彼女のこと―― ――アルクェイド・ブリュンスタッド―― わたしは、彼女に会うことができるのだろうか? そして、その時はつまり、また彼に彼に、遠野くんに会えるときなのだろうか? うらやましいと思う。今、わたしがここにいる間、彼の隣にいられることが。 妬ましいと思う。今、幸せを謳歌しているであろうことが。 でも、だからといって彼女を断じるにはまだ早い。まだ、会ってもいないから。 彼女を取り巻く世界、その動き。それはあまりに大きくて、強くて、わたしの苦悩がちっぽけに見えてくる。 だけど、全然ちっぽけじゃない。わたしの問題はわたしにとってとても大切なもの、彼女の問題は彼女にとってとても大切なもの。それが交われば、そのとき、わたしの問題であり、彼女の問題でもあるそれはとても大切なことになる。 そのときまで、待とうと思う。当面、わたしはわたしの問題にかかりっきりにならなくてはいけないみたいだから。 ああ、それにしても大変。フィナさんが話すことはかなり絞っているらしいけれど、わたしにしてみれば頭がショートしてしまいそうな量。でもそれをしっかり記憶できているわたしがここにる。 夜が更けていく、でも夜こそがわたしたちの時間。 夜明けはまだ、遠い。 でも、確実に近づいてくる。 ――違う。わたしからそれに近づいていくんだ。まだわたしは最初の一歩を踏み出していない。今はそう、服を着て、靴を履いて、踏み出す準備をしている。 それが、今のわたし。 いくらでも振り返ろう、何度でも過去を顧みよう。それがわたしの刻んできた轍。 未来は過去の積み重ね。 前ばかり見ていてはいつか足元をすくわれる。後ろばかりを見ていてはいつかつまづく。上ばかりを見ていてはいつか道を踏み外す。下ばかりを見ていてはいつか目的を間違える。 後悔しよう、なぜならそこから学んでいけるから。 明日は明日、今日は今日、昨日は昨日。 一年間止まっていたわたしの時間がまた、動き出す。 わたしは今、生きている |