闇月夜 13/目狂る糸 |
あれから数日が経った。アルトルージュさんの横で目覚めた後、わたしは彼女を抱き枕としていたようで、申し訳ないやら恥ずかしいやらでしばらくの間おろおろしていたのだけど、彼女の一言によって我に返った。 「そなた、妾に服を着て欲しいのか、そうでないのか、どちらだ?」 それから今に至るわけだが、その数日間で夢の中の出来事を思い出して首をすくめることが何度もあった。 ――怖い。 それが第一の印象、本能的なもの。でももうひとつ、それだけじゃない印象があった。親近感、といったものだろうか? 現に彼女はわたしの祖であるらしいし、なにより髪の色は違ったけどアルトルージュさんに似すぎていた。まるで姉妹のように。その雰囲気が近かった。 そう言えば、彼女もまたブリュンスタッドであると言っていた。どういうことだろう? あとで尋ねてみよう。 そんなことを考えながら回廊を歩く。時は深更、三日月はすでに地平線に沈み、星たちだけが大地を静かに見渡す。 時折すれ違う執事やメイドと軽く挨拶を交わしながら、わたしは思索にふけっていた。 分かったことはひとつ。彼女――朱い月はアルトルージュさんにとって何か重要な“何か”で、わたしにも深く関係しているってこと。他にも細かく言及すればあるだろう。けど一番大事なことはそのただひとつの事実。 どうやら、わたしはただの客人では済まされないのかもしれない。 いや、そんなことは早くから分かっていた。分かっていたけど分からない振りをしていた。きっと重圧から逃れようとしていたのだと思う。何かを求められてる、そのためにわたしはこうして生かされている。それから目をそむけるために……。 必要とされていることを気づかない振りをしていただけ。別に謙虚だったわけじゃない。ただ、責を逃れるための逃げ場を用意したかっただけ。でも、今回のことでもうそれもできないだろう。まざまざと見せ付けられたその現実に、もうわたしは背を向ける分けにはいかないから。それを拒むなら、もう死ぬぐらいしか道はない。でもそれはわたしが決して選ぶわけにはいかないもの、まだそれには早すぎる。 角を曲がると、数人のメイド姿が見えた。どうやらこれからやることの打ち合わせをしているらしい。わたしは実際は手持ち無沙汰になることが多く、彼女達の手伝いをさせてもらうことが度々ある。今回もそうしようと思い立ち、間の中心にいる女性に声をかける。 いつものことなので彼女達もそう戸惑いもせずに受け入れてくれる。メイド長――エーデルガルトさんにアルトルージュさんの部屋の掃除を任されて、服はそのまま彼女の部屋に向かう。 渡りに船といったところだろう。もしかしたら彼女のわたしがアルトルージュさんに用があると看破しての気遣いだろうか? なんとなく後者な気がする。それはともかく、わたしは取る物を取って目的の部屋に向かうことにした。 さて、アルトルージュさんの部屋は城の中心部にある。この城は比較的単純な構造なのだそうだ。それもこれも、攻め込んでくることができるような人には構造の複雑さは全く意味を成さないからとのこと。とは言っても、さすがに城の主の部屋への道はそれなりに複雑な構造をしている。何度か迷ったのだから間違いない。 その途中、呼び止められる。振り返るとそこにはフィナさんがいた。 「あの、今から――ですか?」 そう尋ねると彼は全然困った様子もなく笑いながら言う。 「まいったね。これから何か用事でもあるのかい?」 「アルトルージュさんの部屋の掃除をするように頼まれたから……」 「おやおや、気が利いてるんだか利いてないんだか。そうだね、それじゃあそっちを先に済ましておいてくれ」 「あ、はい、ごめんなさい」 そう言ってペコリとお辞儀をして、足早に目的の部屋に向かった。 少女が去った後、騎士は一人つぶやく。 「どうだった?」 彼がそう問うと、まるでそこに今までいたかのように小柄な人影が現れる。 「間違いありません。活動の開始を確認しました」 「そうか……」 彼は――白騎士フィナ・ヴラド=スヴェルテンは頭を振り、そして微笑む。 「今回は僕の番か……と言いたいところだけど、あれももう潮時だ。――姫様にこのことは?」 「既にレナートゥスが」 「ご苦労。もう休んでもいいよ。――そうか、姫様の耳にも入ったか。なら結論は僕と同じになるはず……待てよ? リィゾのやつ、あのことはお伝えしたのか?」 まあいい。今からでも遅くはない。この事態はすでに予測されていたものであり、そのための準備も整えている。残る問題は一つ。 さて、彼女はこの好機とも言える状況をどこまで生かすことが出来るだろうか? とりあえず確認は取っておこうと、彼は踵を返した。 「一つ、仕事をしてもらう」 そう、アルトルージュさんは言った。わたしはそれに対してさしたる疑念を抱くことなく受け入れた。この人が到底わたしにできないようなことを押し付けたりしない人だということは、この短い付き合いでも分かっているつもりだ。 より正確に言うならば、わたしに不可能なことを押し付けるような無駄はまずしない、と言ったところだろう。 今わたしは彼女に連れられて色々なものが並べられている、いわば倉庫のような部屋にいる。別段小さな部屋というわけじゃないけど、物の数が圧倒的に多すぎて結果、狭苦しく感じる。この城にはこのような部屋が他にもいくつかあるらしい。 ふと、視界に光るものがあってそれに視線を移す。それはとてもきれいな装飾の施された鞘に入った剣のようで、なんとなくそれに手を延ばすと、笑いを含んだ声がそれを遮った。 「応酬するもの」 そう、アルトルージュさんが呟くと同時にわたしの手が止まる。 「……え?」 「それの銘だ。欲しいか? 使いこなせるのであれば手に取るがよい。イルダーナフの振るいし魔剣ぞ」 「え、いや、ち、違いますっ!」 慌てて首と手を横に振りたくる。冗談じゃない、さっきの彼女の言葉からするにこれも“概念武装”といったものの一つだろう。そういったものはとても貴重だとフィナさんやリィゾさんから聞いた。とてもじゃないけど貰うなんて言えない。 「それでは困る」 「え?」 「そも、そなたをここに連れてきたのはその為なのだからな」 「……?」 わたしが小首を傾げていると、それが彼女の不興を買ったようで、じろりと一瞥される。 「くれてやる、と申したのだ」 「ええ!? で、でも……こういうのって……」 そう言うと、彼女は呆れた、とでも言うような目をして息を吐く。 「そなたの国では謙虚を美徳となすそうだが……度が過ぎては興醒めと知れ」 「でも、こういったものをそんなあっさりと“くれる”って言われても……ちょっと」 「よい、構わぬ。どちらにせよこのままでは腐らせていくのが関の山だからな」 「あの、でも……」 言いよどんで、何か話題を変えられるようなものを探して視線を泳がせていると――と言っても、ここにあるものはほぼ全てさっきの剣のようなものばかりで、見るもの見るもの曰くありげなものばかり、それでも諦めずに次から次へと視線を渡り鳥のようにさまよわせていると、見覚えがあるもので止まった。 「――あ」 わたしの視線を追っていたアルトルージュさんもそれに気づいて、口の端を吊り上げて、面白いものを見つけたとでも言うように笑みを浮かべる。いや、実際面白いものを見つけたようなものだろう。 「それか――いいだろう。もはや数があっても意味がないものだ。一つでも二つでも持っていくがよい。何、そう気にせずともよい。それを手に入れてくることも此度のそなたの仕事だ」 わたしはそれに歩み寄り、手に取った。 |